社会・政治系の読書記録

院生の個人的な読書記録です。専門外のものばかり読むこともあって、全体的にかなり拙いです。

稲葉振一郎『社会学入門』

稲葉氏の著作は今回初めて読みました。この方はどういう方なのでしょうか、よくわかりません。というのは、本書はタイトル通り社会学の入門書なわけですが、『経済学という教養』、『「資本」論』といった経済学系の著作もあり、また先月には『政治の理論』という政治学系の本を上梓されています。この『政治の理論』のあとがきを見ると、著者自身にも経済学・社会学・政治学のそれぞれの分野で入門書を著したいという野心があったとのことですから、意図してこのように多様な分野を扱っておられるわけです。社会学部を卒業しておられながら、大学院は経済学研究科、専攻は社会倫理学・・・。あれこれ多様な分野に興味だけはある筆者から見ると、ものすごく興味をそそられる方です。

 

 

さて本書は明治学院大学で行われた講義をもとに執筆されたものです。特徴としては、社会学に固有のアイデンティティとは一体何なのかということについて疑問を持つ読者を対象に、社会の中で社会学はどのように位置づけられ、どのようなことを考えてきたのかということを中心に議論を進めている点です。こうした相対的な位置づけに関する議論は、先述のように社会学以外の他の分野にも精通している著者だからこそできることでしょう。また個人的なことですが、社会学専攻ではないものの、まさに自分のやっている分野のアイデンティティについて考えがちな自分には、改めて深く考えさせられる内容となっていました。

 

構成としては、まず社会学を含む社会科学における多様な方法論(方法論的個人主義や方法論的集合主義といったようなこと)について解説がなされ、次いで社会学の誕生と近代という時代が持つ意味について述べられます。最後に、現代における社会の変容とそれに対応する社会学的の動きが述べられる、といった感じでしょうか。また、巻末に約30ページにもなる読書案内が設けられており、これだけでも非常に価値のあるものだと言えると思います。この読書案内は、先に述べたような著者の守備範囲の広さもあり、社会科学全般をカバーするものとなっています。

 

さて、以下では個人的に興味深いと思った3つの点について、書き残しておきます。当ブログは基本的に個人的な読書記録の延長線上にあるものですから、筆者の趣味によって偏った記録になっていることを、予めお断りしておきます。

 

1点目のポイントは、社会学がなぜアイデンティティーを持ちにくいのか、という点に関連します。著者によると、社会学はまずその理論・方法論において、研究者の間に共通了解がない。つまりみんなバラバラなやり方で社会学をやっているといいます。面白いことに著者は、政治学にも似たような状況が見られると言います。政治学でも社会学と同様に、アプローチにおいて共通了解がない。しかしながら、社会学と政治学は、ある点において決定的に異なる状況にあるといいます。それは、扱う対象の幅です。すなわち、社会学は社会という全く茫洋としたものを相手にするのに対して、政治学は専ら国家に関係したものを扱うために、社会学に比してアイデンティティー問題の深刻さがまだマシであるというのです。この指摘は個人的に面白かった(筆者は政治学専攻)。言われてみると確かにそうかも知れないと思いました。この指摘を敷衍すると、政治学では研究対象に関するアイデンティティー問題は少ないので、この研究対象を固定しておいて、それをあらゆるアプローチ・方法論を駆使して研究しまくるという感じでしょうか。多様な方法論を使い分ける余地が相対的に大きい学問だと言えるかもしれません。

 

2点目に、秩序形成手段の多様性について。社会科学とは、いかにして社会に秩序をもたらすかということに関する学問だと言えるかも知れません。このあたりのことについては今までも個人的に考えてきたことなのですが、これについての認識をより精緻にすることができた気がします。以下、筆者が今までまとめてきたことを、本書を通じて修正した認識について記録しておきます。秩序の調達法には多様な可能性がある。大きく分けて、①社会学的秩序形成・②経済学的秩序形成・③政治学的秩序形成の3つの発想があると思います。①において個人の行動を決定するのは慣習です。本書ではヒュームのconventionという概念が説明されていました。慣習や規範によって各個人の行動が一定の秩序に方向づけられるという、自生的な秩序観ですね。②においては、合理的な選択が各個人の行動を決定します。そして、各個人が合理的に行動する結果、社会に秩序が形成される。本書ではアダム・スミスの議論がこれに当たります。③は本書には出てこない話ですが、これは一定の方向に社会を誘導しようとする権力と意志によって、ある秩序が現前するという発想です。①や②がいわば自生的な秩序論であるのに対して、③は自生的ではなく、明らかに恣意的に作り出される秩序です。②は各個人にどのような帰結をもたらすかということに関しては考慮されますが、社会全体がどうなるのかということは、意思決定の際にあまり考慮されません。③では、社会全体にもたらされる帰結に関しても考慮されている点で、大きく異なります。もっとも、これらの概念は相互に排他的ではないと思われます。例えばホッブズの社会契約論は、②に含まれるのは③に含まれるのか怪しいところです。以上のような整理は、今後継続して考えていきたいところです。

 

さて3つ目の点は社会学の対象としての「形式」についてです。社会学では経済学等が方法論的個人主義をとっているのに対して、方法論的集合主義が主流であるとのことです。これについては何となく知ってはいました。しかし、方法論的集合主義にもいろいろある。まず1つ目に社会有機体説があります。これは社会をあたかも生物の1個体であるかのように捉え、各個人や集団はその個体を形成する機能分化した細胞組織に準えられる。まさに集合主義というとこれをイメージしますが、この社会有機体論は、ファシズムに思想的基盤を提供してしまったこと、またどことからどこまでが個体であるのかを定義できないといった理由によって退けられます。そこで2つ目の集合主義的アプローチとして、形式主義が登場します。この「形式」とは、人と人との間の関係を規定するルールのことです。こういった形式に注目するアプローチが存在することは何となく知っていましたが、このように集合主義も多様であり、またこうした経緯で形式への注目がなされることになったのだという背景については知りませんでした。

 

本書はかなり盛りだくさんの内容なのですが、論点をすべて網羅すると筆者の能力上キャパオーバーを起こしますので、一先ず3点のみ記録しました。稲葉氏の著作は『政治の理論』も購入しましたので、またじっくり読んでみたいと思います。