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社会・政治系の読書記録

院生の個人的な読書記録です。専門外のものばかり読むこともあって、全体的にかなり拙いです。

長谷川眞理子・山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする』

本書は、行動生態学・進化生物学者の長谷川眞理子氏と、社会心理学者の山岸俊男氏との対談本です。はじめはタイトルにぎょっとさせられたのですが、山岸氏の著作は以前読んだ『信頼の構造』が非常に面白かったことを記憶していたので、とりあえず購入してみました。内容は非常に面白かったです。なぜ人間は社会を作るのか、社会はどのような特徴を持つのか、そして社会を変えるにはどのようなアプローチすべきかについて、非常に説得的な議論が展開されています。特に、現状の描写に留まらず、人間という種や社会の形成の契機といった観点から、きちんとメカニズムが提示されている点が面白い。以下個人的に重要だと思った4つの点について記録します。

 

 

1点目は、山岸氏が使う「心でっかち」という言葉です。山岸氏はなかなか独特な言語センスをお持ちの方で(この点は『信頼の構造』を読んだ時にも感じました)、特に本書ではこの「心でっかち」という言葉が印象的です。「心でっかち」とは、「すべての社会問題の原因を客観的・科学的に捉えるのではなくて、安易に『心』に求める傾向」のことです。こうした態度からは、あらゆる社会問題がお説教で解決するという主張が導かれるわけですが、当然お説教で解決するなら政治なんていらないわけです。したがって、社会や政治を論ずるにあたっては、「心でっかち」は唾棄すべき態度として論じられています。

 

これに関連して、思うことが2つあります。①基本的に著者らの態度に共感するが、補足として、行動原理(エートス)=ある種の「心」の問題が社会の在り方を規定しているという側面は当然あるので、その点は注意をするべきであろう。無論、お説教で社会のエートスが変わるとも思えないので、「エートスに注意を払うべきだ」とう筆者の主張と、「心でっかち」の議論とは相互に排他的ではなく、むしろ互いに相補い合う主張であると思う。要するに、「心」を論ずるにしても、その論じ方を著者らは問題にしているのだと思う。②山岸氏の「心でっかち」という用語は、「社会学的想像力が欠如した態度」のことだと解釈できるのではないか。社会学的想像力」はライト・ミルズの言葉で、個人的な問題を社会の文脈で捉えるための想像力、といったところでしょうか。何か問題が起こった時に、「これは私個人の問題ではなく、社会の構造に原因があるのではないか」と考えることです。「心でっかち」な人は個人の心の持ちようばかりを攻撃して、社会全体の構造が見えていないわけですから、これは社会学的想像力の欠如した状態だと形容しても大きな違いはないでしょう。

 

さて2点目ですが、人間の成立とその脳の機能の特徴についてです。なぜ人間の脳がこれほど高度に発達したのかという疑問は、これまで多くの研究を生んできました。本書で著者らが展開したのは「社会脳」仮説です。大型類人猿は元来ジャングルに生息していた。ジャングルは豊かな環境で、エサも豊富にあった。ところがなんらかの県境の変化により、人間の祖先たちはジャングルを追われ、サバンナに住処を映した。サバンナはジャングルよりは厳しい環境で、そこでなんとか生きていくために、集団で助け合うための脳に進化した。これが「社会脳」仮説です。この後さらに脳は進化を続けるわけですが、最も大きな断絶はネアンデルタール人の脳とホモ・サピエンスの脳との間のそれです。ネアンデルタール人の脳は様々な機能を担当する部位が独立していたのに対して、ホモ・サピエンスではそれらが重なり合っている。このあたりは中沢新一『対称性人類学』の内容と重なりますね。こうした脳の特徴から、ホモ・サピエンスでは中沢氏のいう「対称性の論理」、つまり様々な次元を重ね合わせる思考が生まれ、そこから神話や宗教が生まれた。長谷川氏が「幻想の共有」で人間の社会は維持されている、と仰っておられることは示唆的です。

 

3点目は「心の理論」についてです。先述のように、長谷川氏は「人間社会の特徴は幻想を共有しているところにある」としていますが、これを山岸氏流に解釈すれば、「同種の他個体が別の個体にとって何らかのインセンティブを提供している状況」ということになるようです。もっとも、互酬性自体は他の生物でもあり得るわけですが、人間の場合はモノとモノの関係のみならず、互酬性の在り方が高度に多元的になっている点が特徴だといいます。そして、この高度な互酬性が成り立つための条件として、「心の理論」の存在があります。「心の理論」は、相手の行動の原因をその人の心の動きの求める発想のことです。ある人が何か行動をしたら、それはその人がこう思っているからに違いない!というタイプの推論(?)ですね。この「心の理論」が存在するからこそ、人間だけが世界を語り(他者はこう考えるだろう、という前提を共有しているからこそ可能)、また人間社会の秩序は維持される(読み合いから生じる均衡)と著者らは考えています。

 

4点目は差別と偏見の違いについて。『信頼の構造』を読んだ時にも感じましたが、山岸氏は言葉の定義から大きな問題を解くことが得意な方です。特に、よく似ている、あるいは半ば同義語と思われているような言葉をきっちり定義して区別することで、これまで同じ物だと思われていたところから2つの異なる次元を取り出して、より多様な認識の枠組みを与えてくださる。僕はこういう分類による研究というか論考のスタイルがかなり好きです。本書でも、差別と偏見とを分けています。差別はそれによって何らかの社会的便益が存在するために起こるもので、偏見はある種人間の本能的なものによって起こるものだといいます。以上のような定義からして、差別は解決可能です。差別をしないことが合理的な行動となるように、社会の仕組みを変えればいい。一方で偏見はかなり本能的なものですが、これは特に内集団びいきと関係している。つまり、自分が所属している集団を、他の集団より贔屓し、他集団を蔑む心理です。これを解決するためには、内集団を大きくしたり、あるいは集団間の距離を縮めればいいのでは?と思う次第です。