社会・政治系の読書記録

院生の個人的な読書記録です。専門外のものばかり読むこともあって、全体的にかなり拙いです。

稲葉振一郎『政治の理論』

以前記録した『社会学入門』に続けて、今回も稲葉振一郎氏の著作について記録します。稲葉氏の書かれたものは面白いですね。他の著作も読んでみたくなりました。さて、本書は当然政治理論についての著作なのですが、特に「政治」という言葉の定義について考えまくったと言えばいいでしょうか、特にアレントフーコーの議論を参考にしつつ、規範理論というよりは、そもそも政治って何なのか、という点についての論考です。以下、政治の定義に関する議論の要点のみ記録しました。

 

 

まずは古典的なリベラル・デモクラシーの議論について。著者によると、古典的なリベラル・デモクラシーの議論は、人間の性質を所与のものとしつつ、そういった人間集団の利害をうまい具合に調整して、秩序を見出すといったやり方についてのものです。この古典的リベラル・デモクラシー論は、ホッブズやロックの社会契約論にその端を発する立憲主義国家論と、スミスの議論にその端を発する市場経済論という、2つのリベラルの結婚、そしてリベラリズムと民主主義との結婚によって成立したものです。その後、ロールズの議論に典型的に見られるように、功利主義とカント主義(要するに功利主義が持つ集合主義・帰結主義に対する批判)という対立軸があり、リベラル・デモクラシー論には多様性があったものの、やはりどれも人間の性質を所与のものとしつつ、それらを調和させる方法を探るという点では、一致したものでした。

 

次にアレントの議論について。アレントは最近人気のある思想家ですが、存命中は冷戦下にあってリベラル・デモクラシーにも共産主義にも与しない、異色の思想家でした。共産主義はリベラル・デモクラシーを批判する形で登場するわけですが、アレントから見れば、どちらの思想も西洋政治思想の基盤的発想からいわば当然の帰結として導かれるもの、要するに似たようなものに映ったようです。なぜ彼女はこの2つの考え方の間に断絶を認めないのか。それは、彼女がリベラル・デモクラシーと共産主義含む全体主義との間の断絶よりも、古典古代の共和主義と近代政治思想との間の断絶をより強調するためです。特に彼女は近代のスミス流の社会経済リベラリズムに批判的なのです。

 

アレントも、私的領域と公的領域との区別は否定しません。しかし、近代政治思想では多くの人が私的利益を公的利益よりも優先し、しかし逆説的に、実際には私的利益を実現するために社会的な基盤を整備しようとします。これに対して、古典古代のモデルでは、各人が経済的に自立しているからこそ、公的利益のための政治という営みにコミットできた(ここにおける政治を、アレント的「政治」と呼称します)。アレントにとっては、ここに巨大な断絶があります。すなわち、古典古代における「各人の経済的自立」は経済的な交換の対象にならない不変のもので、だからこそ各人の政治へのコミットのまさに基盤足りうるわけですが、近代の場合は社会的基盤の整備はあるまで経済活動のための手段、足がかりに過ぎないわけです。 しかしながら資本主義社会ではこうした足がかりさえも交換の対象ですから、これを経済的に没収され、どうしようもなくなる人が出てくる。こうなると、もはや公的領域と私的領域との区別もつきません。こうした状態を指して、アレントは彼女独自の用語法で「社会」の語をあてています。

 

次にフーコーです。フーコーは、これまでにない権力の類型を示しました。以下、それを順に示します。①法メカニズム。要するに国家による法を通した権力の在り方ですが、その究極的な源泉はヴェーバーが言うように暴力にあります。②規律権力。個人の身体動作や内面を誘導することによる権力であり、現代では行政が主としてこれを担っているといいます。③安全メカニズム。これは、規律権力のように各人の性質を変えるのではなく、それを所与のものとしながら、それを調和させる仕組みのことで、東浩紀が「環境管理型権力」と呼んだものと同様だと言います。そして、前述の古典的リベラル・デモクラシーは③のタイプの議論でした。

 

以上のアレントフーコーの議論だけでも、政治という概念について多様な解釈が可能です。まずアレントの提示した、経済的自立から政治にコミットするパターンと、社会基盤の整備から経済活動へ向かうパターンとの区別があります。後者の議論は、フーコーの規律権力と結びつきます。しかし、アレントはそれを政治とは認めません。そこには政治における自由の契機は存在しておらず、ただ規律権力による行政作用が存在するのみです。

 

かなり半端で乱暴ですが、今回はこのくらいでとりあえず終わります。本書は他にも自由意志の問題や、フローの保護とストックの保護の区別など面白い論点が盛りだくさんですが、筆者の能力上、これ以上やると一層ごちゃごちゃしてしまいますので・・・。ここで見たような政治の定義の問題については、佐々木毅『政治学講義』などにも重要な論点が出ていたと思います。また見返しておかないと・・・。